こんにちは、スパイスファクトリー株式会社の宮﨑です。入社して半年、現在は大学で学生としてファインアートの勉強をしながら正社員としてスパイスファクトリーで働いています。
詳しくはこちらの記事から ▷ 芸大生と正社員を両立する一人の人間として
スパイスファクトリーで働き始めてから、お客様に提供している案件の単価や、タイムチャージの1時間あたりの金額等を具体的に知るようになりました。
アートに携わってきた中で「この作品がいくらなのか」という話は聞いてきたものの、やはりどこか身近でなかったお金に関する話題は、私にとって非常に生々しいもので、強烈に心に刻まれていきました。
そして、私は思いました。
「お金って何だろう?」
Contents
お金ってなんだろう?
人は何にどんな対価を支払うのだろうか?という疑問は私の中でむくむく大きくなりました。
代表に同行し出席したお客様との打ち合わせでは、その制作にはどのくらいの金額がかかるか、目的に対してベストなのはこういったサービスなのではないか、そういった会話が飛び交います。その中で、こういった問いが生まれるのは当然だったと思います。
価値とはなんだろう?お金とは?
幾度となくそれを考えながら打合せに同席しました。
また、自分の労働に対して支払われる対価にもこれまで何度も直面してきました。
スパイスファクトリーに入社する前は、精度の高い仕事をする人とそうでない人が同じ時給で働いている場面を多く見てきました。
私自身も、そういった環境化下で不当だと感じるようなお給料で働いていたこともあります。
ヒト・モノ・カネ・時間・情報
こんな言葉を知ったのも、スパイスファクトリーに入社してからです。
ヒト・モノ・カネ・時間・情報。
毎日毎日あらゆる場所で取り行われている価値のやりとりも、この5つを軸に観察していくとよりシンプルに見えるようになりました。
人が交換するものは必ずしもお金とそれ以外の物ではないということに改めて気が付いたのです。
例えば労働の対価として得る経験(情報×時間)自体はお金ではありません。
とても素敵な人と話す時間は、相手に対しても何か価値を渡すことができているのかもしれないと考えるようになりました。
これまで自分が労働と交換してきた価値に気が付く
私がこれまで経験した接客のアルバイトでは、人×時間の対価にお給料をもらっていたのだと再認識しました。
そしてさらなる対価として経験(情報×時間)×人(お客さんや一緒に働いている人との関わり)も培っていたのか。そんなことに気が付きました。
スパイスファクトリーはものづくりの会社なので、「ヒト・モノ・カネ・時間・情報」のお金以外のすべてをお客様に提供して、報酬としてお金を頂いています。
お金とは互換性の高い価値のひとつの形なのだ。改めて、そしてはっきりと知りました。
そして人は価値と価値を交換し合って生活を送っている。そんな風に世界を見渡してみると、それはとても豊饒な営みのように思えました。
お金は流れ、資産は対流していた
価値と交換で得たお金は会社のランニングコストと従業員への給与、会社の利益に分配されます。
きっと他の会社でも配分は違えど同じようなことが起きているのだと思います。
かつて私は高価格帯のお寿司屋さんでアルバイトをしていました。あの時の、あのサラリーマンの常連さんは、労働と付加価値との交換で得たお金を「美味しいものを食べる」という価値と交換していたんだ、と理解しました。
価値は非対称な関係の中で交換されます。
「人が足りないけれど雇うお金はある」
だから、求人というものがあります。
「お金はあるけれど情報はない」
だから、高いお金を払ってでも勉強会に参加する人がいます。
「ものづくりをする時間や人が確保できないけどお金はある」
だから、お客様は私たちに一緒に仕事をしないかと話をしてくださいます。
持っている資産の非対称性から、価値とお金は交換されます。
そうやって動いたお金で私達は生活を営み、そしてまた価値を生産し、別の価値と交換し、ときに消費したり貯蓄したり、運用したりします。
誰が何に対価を支払うのだろう
そうすると今度は、仕事をしていく上で(または自分の作品と何かを交換していく上で)、「誰が何に対価を支払うのだろう」ということが気になり始めます。
マーケティングの業務をこなしている上司の打合せに同席しては考え、その帰り道で何度も話をしました。
そして私は、最低限のセオリーと、他社との差別化や付加価値、「需要と供給をつなぐ仕組みを作る」ことがマーケティングの本質という事を学びました。
「求めていない人に宣伝をし続けても交換はできない」。
これは私が自分のアーティストとしての作品を売る際にも、本当に参考になる考え方でした。
資産を持っているだけでは交換できないのことを知りました。交換してくれる相手を見つけて、やっと、資産は互換性の高い「お金」という価値に変わるのだと知りました。
アーティストとして「いいものを作っていれば誰かが見つけてくれる」と安直に考えていた自分に対し反省しました。
価値を得るには価値を手渡すしか方法がない
かつて、物流センターで単純労働をしていたとき、いわゆる「下っ端」の私に求められる事は精度の高い仕事をすることではなく、体を単純作業に捧げる時間でした。
接客の仕事も、覚えてしまえば単調にこなすこともできました。
けれど、スパイスファクトリーにおいて、能力に見合った報酬の代わりに求められることは「常に新しい手法を選択肢として持ち、必要があれば挑戦すること」でした。新しい手法はハードルこそ高けれ、より良い方法であることがあります。新しく挑戦したことは会社の知識となり、次同じケースに遭遇した時の対処の糸口になります。
もし初めての手法であったとしても、それが合理性につながるのであれば迷わず選択することが、私たちが労働力の一環として求められる対価だという事なのだということを痛感しました。
会社で働く以外の方法であっても本質的には変わらない
SNSを通じて社会を見渡すと、ファンからの投げ銭だけで生活を送っている方や、食事をご馳走してもらう対価としてお喋りを提供する方等、従来とは異なる働き方をしている方も多く存在します。
しかし、彼らのスタイルと会社で働くことは、本質的には乖離していないように感じます。
なぜなら、どちらも自分の価値を高く評価し価値を支払ってくれる場所を見つけて価値の交換をする行為だからです。
自分が作った作品を人に見せて意見をもらったり、購入してもらう事もこの構造なのだと痛感しました。
改めて、働くということ
ワークライフバランス、ワークアズライフ。そんな言葉があります。そのどちらかが良いということはなく、最近では個人の価値観でそれを選択できるようになりました。
多様な価値観を持つことが受け入れられる時代背景の中で、しかし私はワークアズライフの方に共感します。
会社で働くことも、作品を制作することも、価値を創造して別の価値と交換する、という意味ではどちらも働くことにかわりありません。
私はスパイスファクトリーで働き始めて、ワーク=会社で働く、ライフ=自分の制作 ではなく、ワーク=会社で働きながら自分の制作をする=ライフだと考えるようになりました。
より良い仕事・より良い生活
会社での労働や制作の活動問わず、良い仕事をするには仕事をしない時間が必要です。
私にとっても、休む事や何かについてじっくり考える時間、趣味を楽しむ事は、全て仕事につながる大事な時間です。これらは良質なものを生み出すのに必要な、いわば必要経費と定義されるのではないでしょうか。
私たちは、これらの活動に対して必要なお金を、仕事の対価として受け取ったお金から割り当てます。
学生アルバイトから、学生兼正社員の話を受けた時、私にとってスパイスファクトリーで働く時間が増えるという事は、その分制作の時間が減ってしまう事でもあると思いました。
しかし、スパイスファクトリーで働く事が貴重な時間であることを確信しているので私は就職を決意しました。
働くことは、必ずしも手段ではない。私はそう思います。
会社での仕事もそれ以外の仕事も、興味を持って、探求心を持って、そしてたまには良いものを作るための休憩の時間を作る。
そんな生き方を目指して、今日も働いています。
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ShintoTatsuo